おっさんについて少しご説明させて頂きます。
1970年代:
大阪市西区で生まれる。小学生ではあったが、ゲーセンでよく遊んだ。
機動戦士ガンダムの放送が始まる。ガンプラを買いにいくが、長蛇の列に泣く。
当時300円で量産型ザクを購入。腕の関節をねじ切ってまた泣く。
ガンダム消しゴム(なぜかマゼラアタックが大量)を収集。
1980年代:
任天堂のゲームウォッチが流行する。お年玉を叩いて「マンホール」を購入。
続いて、同社ファミリーコンピュータが発売。親を説得するが購入してもらえず。。。
ファミコン購入のために、お小遣いをこつこつ貯め始める。
親の仕事の都合で奈良市神功に引越し。このころからZガンダムの放送が始まる。
ガンダムMKUのMKUと言う表現に感動するがZガンダムを「ゼットガンダム」と読み
友達に馬鹿にされる。 ZZガンダムは読み方がわかるまで口にすることは無かった。
1990年代:
おっさんも高校時代に突入する。奈良から京都の高校へ1時間以上かけて通学。
ガンダムもVやらGやらWやらの放送が始まる。量産型ガンダム、羽が生えたガンダム、
格闘をするガンダムになじめず、ガンダム、ガンプラから離れていく。
車やバイク、戦闘機をよく作った時代。この頃初めてエアブラシ(エア缶)を使い、
大人のプラモ、いや、模型という言葉に感動する。(バカ)
この頃からマスターグレード(以下MG)シリーズが発売になっていたようだが、
存在を知らなかった。
2000年代:
おっさんも就職することになり、東京へ引越し。通勤途中の本屋でホビージャパンを
立ち読み。「RX78GP01」などという文字が。。「なんだこれは。。連邦の新型か。」などと
口にはしませんが、MGシリーズや0083、0080と言った存在を知る。本屋から電車に乗り
秋葉原直行。MGガンダムを購入。数日間説明書を眺めて感動する。その数日後上司より
転勤を言い渡される。
「台湾に駐在してくれたまえ。」
「おっ。。。」
MGガンダムと共に台湾へ。台湾は、昔日本が統治していた国だけあって
反日感情強いのかと少しビビリ気味であったが、んなこたーない!
現地では、日本ブームの真っ最中。しかし、ガンプラが無い。どこを探しても無い。
と言うか、街に模型屋が無い・・・・。インターネットを駆使して、模型ビルなる存在を知る。
そして行く。ありました。しかも大量に。MG、PGなんかも全てありました。日本の定価ぐらいで
購入できるので、価格にも満足。ダグラム、エルガイム、バイファム、ロボダッチなどなど、
懐かしいプラモもたくさんあり、感動しました。今では店長に頼み込んでエアブラシを
入荷させるような常連です。この頃、日本との通信手段としてパソコンを1台組み立てました。
プラモ作るより簡単でよいです。とにかく暇なので、街を散歩。初めてネットカフェなる店に
入る。なぜか皆PCゲームをやっている。(台北市ではゲームセンターの営業が認められて
いないので、ネットカフェと称したPCゲームセンターが流行っている。)
そこでカウンターストラクというゲームにはまる。おもしろい。かなりおもしろい。
戦争ごっこのゲームなのですが、はまりました。今では妻の目を盗んで。。(はい、結婚しました)
と言った感じです。なにか共感を持って頂いて、見て頂ける方と友達になれたらと思い
このようなサイト立ち上げてみました。皆様宜しくお願い致します。
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